さようならコンプレックス中学生

先週、中学時代の同窓会がありました。

私は横浜市の田舎の公立中学に通っていて、
それはそれは、ろくでもない中学時代でした。

ただただ、下を向いて歩いていた。

勉強もスポーツも得意じゃないし、もちろんヤンチャでもない、
体は特に小さかったし、ケンカも弱いし、ダサいしで、
いま振り返っても、惨めな中学時代だったと思う。

学校全体が荒れていて、沈んだ雰囲気だったことは間違いないが、
とにかく息を潜めて、下を向いて歩くモノクロームな世界にいた。

そんな中学時代の同窓会になんで行ったのかは、自分でもよくわからない。
誘ってくれた友達が、なぜかちょっと強引なくらいな勢いだったから
気の迷いで、行くことにしてしまったのかも。

実際、直前まで後悔していたし。

で、行ったら、行ったでそれなりに懐かしい顔がいて、何十年振りに再会できた友人もいたりして、直前までガタガタ言っていた自分に嫌悪感を持つくらいには楽しかった。

まぁ、もともと大人数は苦手だし、お酒も飲めないし、すぐにソワソワしちゃうので、早々に帰りましたが、帰り道からその後数日くらい、不思議と体がフワフワして余韻が残った。

でも、当時のコンプレックスがいまの自分の原動力なのは間違いない。
何者でもない自分ではいたくないと思ったんだ。

当時の自分に言ってやりたい、
いくらダサくて惨めな中学時代を過ごしたとしても、そこで人生は決まらないから安心しろ。と。

まぁ、この歳でまだきっと何者でもないし、何者の定義すらボヤけてしまっているのだけど。
フワフワの余韻が消えたいま、大人のコンプレックスだけの日常に戻った。

さ、仕事しよ。

猫とアレルギー

最近よく出会う猫。

人に媚びず、凛として、堂々としているようで、どこか寂しげでもある。
誰かに飼われているようだけど、自由そうでもあり。

しなやかな動きは美しすぎるから、目が離せなくなる。
詰めようとすれば離れるし、離れても遠くからこっちをじっと見てる。
なんだか全て見透かされているような気分になってくる。

僕は猫アレルギーなので、近づきすぎるとくしゃみが止まらなくなるんだろうな、と思いつつ、気になってしょうがない。

そのうち、フラッといなくなったりするんだろうな。

ブルーハーツとべスパとおっさんのお話し

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世界中に建てられてる、どんな記念碑なんかより、あなたが生きている今日は、どんだけ意味があるだろう。

意味なんてなくても、やるしかねーから、誰もやってくんねーからやるんだよ、
YOUTUBEでブルーハーツを聞きながら、企画書なんかの資料をひたすら作る日々。

昨日、べスパがパンクしました。
麻布十番にカレーを食べにいく途中、目黒の権之助坂あたりでタイヤがグニュっとして、あっと言う間に空気が全部抜けた。チューブタイヤはこれだからなぁ。

しょうがねぇから、その場でスペアタイヤに交換することにした。
べスパを購入してすぐくらいに、一回パンクして交換したことがあって、記憶を頼りに作業した。汗だくになりながら精度の低い車載工具で悪戦苦闘すること30分。交換完了っ。

…やるじゃん、俺。

さて、行くか~と思ったら、スペアタイヤも空気抜けてやがる。いや、そりゃそうだよな、何年空気足してねーんだと。
権之助坂にはGSがあるんで、そこで空気を入れてもらおうと画策するも、すでに営業時間の20時を過ぎており、万事休す。

諦めて、べスパをそこに放置して、電車で行くことにした。
目黒駅のトイレには洗剤が据え付けられてないもんだから、油汚れが全然取れないぜ、こんちくしょー。

昔はお金がなくて、バイクのメンテナンスとか出来そうなことはなんでも自分でやってみたりしていたんだけど、いつの間にかやらなくなった。

おっさんになるってことは、こういうことなんだろうな。きっと。
そんな現実は受け入れがたいから、チェインギャングでも歌うかな、と。
油まみれの手を見ながら思ったりした。

誰かがお前を見つけるよ

先日、会社の10周年パーティがありました。
それ自体はどうでもいいことなのですが、そこで言われた一言が印象的でした。

私の会社は総合広告代理店のグループ会社なので、役員は全員親会社の人達です。
それ自体の是非については色々意見があると思いますが、個人的にはけっこう違和感を感じていたりします。

違和感のある会社でも、8年弱も勤めるとお世話になった役員もいて、今はもう退任しているその人に近況を話すと、何気なくさらりと、

「心配するな、誰かがお前を見つけるよ。」

胸に響いた。

きっとどこかにいる誰かに、見出されるなんて
そんな都市伝説みたいな話を信じている場合じゃないけど
ちょっと救われた。

そう思ってくれている人が少なくても一人はいるってことだから、
今の自分には有難い言葉だった。

忘れずにここに残しておこう。

広告のお祭りの終わりに

先週は広告業界最大のお祭り「カンヌライオンズ2015」だったんですね。
私はいちおう業界のど真ん中の会社に席をいただいていて、周りにもライオンホルダーがちらほら。

最近はFacebookなんかもあまり開かないんですが、たまたま開いたらけっこう皆さんカンヌに行っていたみたいで色んな投稿が飛び交ってました。所属する部でもヘルスケア部門のブロンズ取った人が出ました。

そんな環境だから、なんか自分でもいつか手が届くんじゃないか、とか
現業で努力していればチャンスが巡ってくるんじゃないか、とか思いがち。

この業界にいて、賞を獲りたいと思っていない人はほとんど存在しない。
たまにいたりするけど、本気で言っているとしたら一秒でも早く業界を辞めるべきだと思う。
業界以外では無意味かもしれないけど、本質的ではないかもしれないけど、最高で最大の評価基準であることは間違いないし、商業アート自体が本質的でないという事自体は否定しないけど、それらがコミュニケーションのひとつの形だとして、不特定多数の誰かの評価や相対的な評価なしに語ること自体が無意味だと思うからだ。

クリエイティブやコミュニケーションを生業にしているってことは、少なからず社会に対して自分の価値観やセンスで何か少しでも影響を与えたいし、与えられると信じているってことになる。そこに一定の責任を持たなければならないのだと思う。無自覚にいてはならないと。

この世に生まれてきたからには、一瞬でも自分の人生の瞬間を世の中に対して刻んでやりたい、足跡を残してやりたいと、たとえそれが完全な自己満足だったとして、非難されても、この感情から来る動機を完全否定できる人がどれだけいるか。少なくても自分はそうだ。

いつからか、この業界に身を置くようになって、近いようで遠い場所にいて。毎年ボーっと傍観するだけの日々で消えかけてはいるけども、ボソボソくずぶっている。
そろそろ完全に諦めないと取り返しがつかなくなる。少なくても目指すならここにいてはいけないんだってことは完全に気がついていて、気がつかない振りをしている。

諦めるってことは辞めることだから、どっかで踏ん切りつかずに、流れに身を任せてしまう。
自分を信じてあげたいけど、ダメなもんはダメ、能力だけの問題じゃない。

なんてことを考えていたら日付が変わって、明日で37歳。
自分で決めた期限を2年も過ぎてしまった。

お祭りは終わらせるのも意外と大変なんだなーと。

優しい時間

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快晴の土曜日。会社の仲間と鎌倉~辻堂に。

この5月に発表された新しいチームは4名全員お酒が飲めない&好きじゃない。
しかも全員30代、未婚(バツ有1名)。

なんかキックオフしよう→でもみんな飲めないじゃん→じゃあどっか行く?
みたいな流れで、なぜか鎌倉ドライブとなりました。

4人を乗せたプジョーは、首都高から横浜横須賀道路で湘南へ。
この時期のオープンドライブは最高に気持ちよく、みんなのテンションも自然と上がります。

鎌倉をぷらぷら散策し、蕎麦食べて、アイス食べて、コーヒー飲んで、辻堂へ。

湘南辻堂海岸は穏やかで、時間がゆっくりと優しく流れていました。
思い出深い、素敵なキックオフになりました。

で、そんな素敵な土曜日の翌日は休日出社して、こんな時間まで仕事しているっていう…。
なんだ、この昨日とのギャップは。

すこし日焼けした肌がピリリと痛んだ。

君のアイディアは全然ダメ

今期の面談で上長に言われた一言。
久しぶりにガツンと来た。

自主提案の案出しに声をかけてもらって、それなりに頑張って出した企画が全部つまらないとのこと。「全然、ダメ」と面と向かった言われたのは久しぶりで、衝撃を受けました。

で、すこしイラッとしたので、

「じゃあ、誰の案がよかったですか?」と聞いたら、

「全部、ダメ。」

なんだよ、それ。

打ち合わせの最中はずっとパソコンでカチャカチャやってて、ろくに企画なんか見てなかっただけだろ。なめんなよ。

面白い仕事がしたかったら、努力しろってことで、
それ自体は100%正しいし、判断する人の判断が全て。

でも、なんだろう、このやるせなさ。
努力したから、面白い仕事が転がってるはずの所に来れたんじゃなかったのか?
まだ足りないのか…

なんて、数日間もやもやしていて、プレゼンの結果を聞いたら俺の案が採用されてんじゃねーか。

全部ダメで悪かったな。

そんなこんなで少しだけ救われた気持ちになりましたとさ。