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さよならの足音

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大阪に来て、もうすぐ二年。
一年目は途方もなく長くて、二年目はあっという間に過ぎた。

ひたすら焦り、後悔しながら過ごした一年目。
無心で自分自身と向き合った二年目。

どちらも、絶対に忘れることはない、
人生にとって貴重な一年間だったと今は思う。

苦しくて悔しい一年間と、優しくて暖かい一年間。
どちらも僕には必要な時間だったのだろう。

人は変わるし、変わることができる。
ここで出会った人たちの優しさで、僕は変わることができた。
この二年間の意味は、これからの人生が決めることになるから、
諦めずに、努力し続けることで仲間に報いたいと誓う。

さよならの足音が近づいてきて、
寂しい気持ちでいっぱいな今日この頃。
残された時間をいつも通りに、でも大切に噛み締めて過ごしたいと思う。

雪の日の特別ルール

東京は2週連続で大雪らしい。
大阪は少し積もったくらいで、すぐに雨に変わった。

今年は本当に寒い日が続いている。
バイクなんて乗ってる場合じゃない。
昔は雨でも雪でもバイク通勤をしていたのだが、自分でも信じられない。
雪が積もるときまって思い出すのは
小学生の時の思い出。
同じ団地に住んでいた森川君のこと。

彼は小学校の中で乱暴者として恐れられる存在で、
怖いから絶対嫌われないけど、誰とも打ち解けてもいないような独特のポジションで、
なんとなく、いつも寂しそうだった。

僕はというと、当然乱暴者でもないし、
背もクラスで2番目に低くて、運動音痴で、勉強も出来なくて、
いつも同じ茶色のスウェットパンツはいて、汚くてダサいだけの小学生だった。

そんな彼と、なぜか仲良くなっていったのは、同じ団地というのもあるけれど
きっと世の中に対してのスタンスが似たところがあったからだ。
なんとなくクラスで浮いていた二人だったのだと思う。

雪が積もると僕らは集まり、雪で遊びながら学校に行くことになっていた。
それはいつの間にかできたルールで、二人の間だけのルールだった。

まだ誰も踏んでいない空き地の雪原に足跡を残したり、
雪玉を転がしてでかい雪玉をつくったり、雪玉を投げ合ったり。
なにをするでもなく、学校までの道のりを遠回りして行くだけ。

ただ、ちょっとだけ普通と違ったのは
朝のホームルームどころか1時間目の授業が終わるころに登校してたこと。
二人してビショ濡れで。

僕らが勝手につくったルールで、
雪の積もった朝は遅れて行ってもよい日だった。

いまにして思えば、当時から勝手にルールをつくるあたりが
全然変わっていなくて、そりゃ駄目な大人になるわけだ。

とにかく、雪が積もる朝なんて、滅多にないのだから
まっさらな雪で遊んでから学校に行けばいい。という理屈だったのだ。

雪の日の特別ルールに限らず、万事そんな子供だったから、
担任の佐竹先生は僕らのことは大嫌いだったと思う。
そんな森川くんは、中学からは県外に引っ越してしまった。
彼は喧嘩が強かったので、小学生にして中学生からも目を付けられる不良小学生で、
このまま、この学区の中学生になると、完全に不良エリートの道に進むことに
なってしまうということで親が心配して引っ越した。という噂だった。

もちろんそれっきり、会うこともなかった。

でも、積もった雪を見る度に、あの時のことを思い出す。
もしかしたら彼も、積もった雪を見ながら僕のことを思い出しているかもしれない。

なんてことを、思いながら、
なんとなくFacebookで検索してみたら、
なんとあっけなく、すぐに見つかった。

すごい世の中になったもんだ。

写真はないけれど、生まれが横浜だったから、すぐにわかってしまった。
名前もすこしだけ珍しいし。

経歴を見ると「高校中退」。
書かなくてもいいのに、書いてるあたりが彼らしい。
今は東北に住んでいるようだ。

東北だったら、雪は珍しくもなんともないし、
雪が積もっても、きっと僕のことは思い出さないんだろうな、と。

東京、雪、東北。

なんだか、また変なところで繋がって
余計なことまで思い出してしまいそうなので、今日はおしまいおしまい。

まぁ、でも。
雪の日くらいは、特別ルールを適用して、
余計なことまで思い出してみるっていうのも悪くないかもしれない。

どこかでまた

浅田真央のオリンピック最後の演技を見た。
オリンピックを見て、涙が出そうになったのは初めての経験で、
最近涙もろいことを差し引いても、心から引き込まれてしまった。

以前担当していたビューティブランドが
彼女を応援していた時期があった。

様々な事情や理由でブランドは彼女を手放してしまったけれど、
もし、彼女のことをずっと今でも応援し続けることが出来ていたら…
きっと今とは違う価値を世の中に与えることのできるブランドになっていたのだと思う。

メダルの有無とか順位とか関係無く、
浅田真央の成長や無垢な笑顔、そして悲劇のストーリーは日本人の記憶に
深く刻まれていて、きっと消えることは無い。

彼女自身のストーリーはこれからも続いていく。
どこかでまた、あの笑顔に出会えることを
日本中の誰もが楽しみにしている。