あの娘はランドセルが似合わない

表参道の交差点から一本奥に入ったところ、サブウェイの並びに古くからの喫茶店があったはずなのだが、今日通ったらすっかり無くなって、真っ白な貸し店舗のように空っぽになっていた。
まるで、そこには元からなにも無かったかのように。

その喫茶店はバンという名前で、その昔、父のお気に入りの喫茶店だった。

半年から1年くらい前までは、営業している風だったのに。
大人になってから、交差点を通る度に何度となく入ってみようと思いながら、まぁそのうちに、なんて思っていたらこうなる。ほんと後悔ばかりの人生でございます。

当時、何度か父に連れられてバンには行っていたのだが、コーヒーサイフォンと、インベーダーゲームと、タバコの匂い、そして勝気なママと、ランドセルが似合わない大人びた娘の記憶が残っている。

勝気なママと、その大人びた娘は折り合いが悪く、いつも喧嘩していた。当時、恐らく高学年だった娘は、すこしだけウェーブのかかった長い髪にスラっとした長い脚、たぶんちょっとメイクもしていた気もする、小さくキレイな顔をしていて、おおよそ小学生には見えない大人びたルックスで、喫茶店の大人たちの中でも評判だった。

喫茶店の奥の階段から2階に上がっていく姿を目で追いながら、子供ながらに、あの人はきっとモデルになるに違いないと思っていた。今頃、50歳くらいだろうか。彼女はいまどんな人生を生きているんだろう。

表参道自体も、30年以上前はいまよりもずっと穏やかな時間が流れていて、人も車もいまほど多くなかったし、お店もずっと少なかった。
今は無き同潤会アパートは、当時から既にだいぶ古くさくて、ジメジメしていた。仲の良い幼稚園の友達のきーちゃんが住んでいたんだけど、おばあさんが怖い人で、ほとんど家に上がったことはなかった。一度だけ、かぶと虫の幼虫をもらいにいった記憶がある。

そのきーちゃんは、医者になったらしい。お父さんも有名なお医者さんらしくて、なんだか浮世離れした噂話ばかりが聞こえてくるあたりが、現実感がないんだけど、検索すると確かに医者になっていて、過去には音楽活動なんかもしていたようだ。なんだ、ヒョロっ子で気の弱かったきーちゃんが立派なもんだ。

なんて古い記憶を懐かしんで、バンについても検索してみたんだけど、なにひとつ出てこない。たしかに、そこにあったはずなのに、いくら検索しても何も出てこない。なんてことはない、Googleが世の中の全てを知っているわけじゃないんだ。アナログな記憶までは、インデックスされないらしい。いまのところはね。

なんつって。人の脳みその中にGoogleのクローラーが入り込んでくる未来を想像しながら、くだらない小説みたいな思考を巡らせていたんだけど、なんてことはないバンではなく、ヴァンだった。バンでもいいだろ、融通利かねーな。
ヴァンで検索したらいくらでも検索できてしまった。そりゃそうだ、数年前まで普通に営業していたんだから。夜はBARだったみたい、言われてみれば、そうだったかも。

ランドセルの似合わないあの娘のことも、調べれば調べられそうなんだけど、懐かしい記憶はそのままにしておこうと詮索は止めにした。自分の中ではバンはバンのまま。いつか誰かが表参道のバンを検索してくる時のために、ここに記録しておこう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。